翻訳と辞書
Words near each other
・ 第34回日本選手権競輪
・ 第34回日米大学野球選手権大会日本代表
・ 第34回有馬記念
・ 第34回皇后杯全日本女子サッカー選手権大会
・ 第34回社会人野球日本選手権大会
・ 第34回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント
・ 第34回総選挙
・ 第34回衆議院議員総選挙
・ 第34回選抜高等学校野球大会
・ 第34回都市対抗野球大会
第34師団 (日本軍)
・ 第34普通科連隊
・ 第34次長期滞在
・ 第34独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)
・ 第34装甲旅団 (ドイツ連邦陸軍)
・ 第34軍 (日本軍)
・ 第3503船団
・ 第351師団 (日本軍)
・ 第3530船団
・ 第354師団 (日本軍)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第34師団 (日本軍) : ウィキペディア日本語版
第34師団 (日本軍)[だいさんじゅうよんしだん]

第34師団(だいさんじゅうよんしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。
==沿革==
盧溝橋事件華北から華中華南へと戦線が拡大し日中戦争が泥沼化するなかで、占領地の警備や治安維持を目的として1939年昭和14年)2月7日に新設された歩兵三個連隊編制師団の一つであり、同時に第32師団第33師団第35師団第36師団第37師団が新設された。また同年6月30日には第38師団第39師団第40師団第41師団が新設された。
編成後ただちに中国戦線に投入、第11軍戦闘序列に編入され武漢方面の警備に従事する。同年12月からは南昌に移駐し同地の警備に従事する一方、1940年(昭和15年)の宜昌作戦、翌1941年(昭和16年)の錦江作戦などにも参戦する。
太平洋戦争開戦後も第11軍隷下華中に在り占領地の警備や治安作戦に従事していたが、1944年(昭和19年)5月から大陸打通作戦に参戦、湘桂作戦では長沙・岳麓山攻略などに従事する。
1945年(昭和20年)4月18日には支那派遣軍直轄部隊となり、南京方面に向けて移動中九江で終戦を迎える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第34師団 (日本軍)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.